ダットサン「GO-crossコンセプト」でブランド拡大に向けた方針を世界初公表


ダットサンの歴史も振り返り、日本の産業史の一端にも触れる

日産自動車株式会社(本社:神奈川県横浜市西区、社長:カルロス ゴーン)は、ダットサンブランドの復活から、1年目を迎えた10月29日、アフリカ、中東、東南アジアなど成長著しい新市場へ事業拡大を図っていく可能性を示した。

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日産は同日、ダットサンブランドを投入する4番目の市場である南アフリカでの発売一周年を記念した特別イベントを、日産グローバル本社で開催し、同席上に於いて「GO-cross コンセプト」を世界初公開した。

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日産は、「ダットサン」の名称使用を取りやめてから約30年を経た2012年にダットサンとしてのブランド名の復活を発表。

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2014年3月にインドで復活後初となるモデルを発売して以降、これまでにインド、インドネシア、ロシア、南アフリカで累計10万台以上の新型ダットサンを販売してきた。

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動画「The Datsun Story」(25分33秒・英語)

2012年3月、ダットサンブランドの復活

日産は2012年3月、ニッサン、インフィニティに続く第3のブランドとなるダットサンブランドの復活を発表した。

この新たなダットサンブランドは、世界各地で高い成長を続ける市場を対象に、将来の成功を夢見る自動車ユーザー並びに予備層に対して、クルマのある豊かな生活を提供してきた。

ダットサンは、80年にわたる日本のクルマづくりに対する技術とこだわりを象徴しており、ブランド復活以来、日産のDNAを体現する重要な事業戦略のひとつとなっている。

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ダットサンブランドは、Dream, Access, Trustを基盤とし、「お客様に、透明性のある手頃な価格で、身近なサービスを提供し、安心できるオーナーシップ・エクスペリエンスを約束する」というブランドコンセプトを持っている。

また現時点で、ダットサンブランドのモデルは、インド、インドネシア、ロシア、南アフリカで販売している。

世界の10万人以上のユーザーに浸透したダットサン

日産のダットサンブランド・グローバル責任者であるヴァンサン コベ氏は、「今日はダットサンにとって重要な日です。ダットサンブランド復活の第一段階は無事に完了することができました。

また、ダットサンの車によって、10万人以上のお客さまの、『自分のクルマを持ちたい』という夢を実現することができたことを非常に誇りに思います。

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ダットサン『GO』を2014年3月にインドで発売して以来、最新の累計販売台数は114,000台となっています。

ダットサンの拡大戦略は、ダットサンブランドを投入する4つの市場での販売・サービスネットワークの継続的な拡大に加え、インドにおいてモデルラインアップを3車種へと拡大していく予定です。

具体的には2016年初頭に、インドで新型モデルを発売します。同車は、ルノー・日産アライアンスの新型CMF-Aアーキテクチャーをベースに開発した日産初のモデルとなる予定です。

また、ダットサンは、アフリカを含む世界中の高成長市場において更なる事業拡大を検討しています」と述べ、同氏はさらに加えて、「ダットサンの基本的価値観である『Dream、Access、Trust』は、ダットサンブランドの次なる成長段階においても継承され続けるでしょう」と付け加えた。

世界初公開となった「GO-cross コンセプト」

今回のイベントの目玉の一つとして世界初公開した「GO-cross コンセプト」は、ダットサン「GO」、「GO+」のラインアップ拡大の可能性を示唆するブランドビジョンを示している。

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同コンセプトカーは、冒険心とその精神を持つクロスオーバーの市場潜在性を探求したモデルで、日常の使用から、休暇や週末のレジャーにも活躍するクルマだと同社では云う。

というのは同コンセプトカーが、ダットサン「GO+」のプラットフォームを共有し、重要なアイコン的デザイン特性を継承。大幅な進化を遂げながらも、斬新でワクワクするような革新的なものを継続提供していくというダットサンの基本哲学を明確に示しているからだと云う。

ダットサンで夢を叶えたユーザー達のストーリーを綴っていく

日産は、累計販売台数10万台突破というマイルストーンを記念し、また、ダットサンユーザーに感謝の意を表すため、2015年8月に特別キャンペーンを開始した。

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この全4つの投入市場における新型ダットサンユーザーを対象にした同キャンペーンでは、ダットサン車を手にして人生がどのように変わったのか、ユーザーそれぞれのストーリーを共有。

各市場のベストストーリーに選ばれたダットサンオーナーを、横浜の日産グローバル本社にご招待したが、日産では復活したダットサンブランドのクルマを通じて、夢をかなえたオーナーのストーリーを、今後1冊の本にまとめて出版することを検討している。

ダットサンの歴史を振り返る(Weightymatters編集部)
ダットサンは、100年前の1914年に日本で作られた脱兎号(ダット自動車)に由来している。

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ダットサン12型フェートン(DATSUN 12 PHAETON)1933年

ダットサンのルーツとなる「快進社自働3車工場」は、今からちょうど100年前の1911年(明治44年)、橋本増治郎氏によって設立された。

the-worlds-first-published-a-policy-aimed-at-brand-expansion-in-the-datsun-go-cross-concept20151030-14この橋本増治郎氏設計のダット(DAT)号が完成したのは、1912年の事。だがこの第1号車は失敗に終わり、次作となったダット号の2号車を1914年の大正博覧会に出品して銅牌を受賞したのが、事実上、ダット号が世の中に広まる契機となった。

ちなみに「脱兎(ダット)」というのは「超高速」という意味であるとともに、設立当時、快進社の出資者であった、田、青山、竹内3人のそれぞれの名前の頭文字を取って名付けられた。

また、耐久性のある(Durable)、魅力的で(Attractive)、信頼できる(Trustworthy)のそれぞれの頭文字を取ってDATとしたと当時は宣伝されたと云われている。

そして快進社は、1921年頃にダット41型乗用車を完成。このクルマは、東京平和記念博覧会で、当時の東京府(現、東京都に近い行政区)から金牌を授与されている。

しかしこの栄誉を手中にしたものの、当時国内では、米国から進出した安価な輸入車に対抗する術は無く、遂に快進社は解散され、ダット自動車商会となる。

そして1926年には大阪の実用自動車製造と合併し、ダット自動車製造となり1930年に1号試作車をリリース。

さらにダット自動車製造は、1931年(昭和6年)に、三井の出資で自動車の業界の足掛かりを造りつつあった鮎川義介氏の戸畑鋳物(日立金属前身)の傘下となった。

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鮎川義介氏

同年、技師長の後藤敬義氏によって、ダットの「息子」を示す意味の小型四輪車のダットソンが完成。翌年の1932年に「ソン」は損につながるという理由によって太陽を示す、「サン」に変更され、ダットサンの名称が確立した。

後に、三井、三菱に次ぐ「大正財閥」と呼ばれる日産コンツェルンを築き、1933年に日産の創立者(1934年に日産自動車株式会社となる自動車製造株式会社を設立)となった鮎川義介氏は、「すべての人に自動車を」というビジョンを持って、「快進社」から「ダット自動車製造」へと引き継がれてきた自動車事業を、日本の基幹産業として育んでいく切っ掛けとした。

こうして1930年台初頭の日本の若者たちの向上心を満たす、軽量で経済的で耐久性のあるクルマは、「ダットの息子」、Datson(ダットソン)と名付けられた後にダットサン(Datsun)となった。

このダットサンブランドの誕生は、日本のエンジニアリングの進化と、大量生産を目指す事業家の志が組み合わさったものと言え、鮎川氏とダットサンが育んできた夢が、同ブランドの確立により、いよいよ現実のものになったのである。



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